★うつ抜け日記003★

★うつ抜け日記003★


2週間のお休みの後、仕事に出向く生活に戻りました。1週間に一度、心療内科に通院しながら。


職場の理解が有難かったです。それまで続けていた職場の自主勉強会への参加は、少し頻度を減らすようにしました。


半年が経った12月、私はまた死ぬことを考え、遺書を書くことになります。

ある日の仕事の打ち合わせでした。

有名会社の開発関連打ち合わせには、上司や係員の方と同席しました。その場では、ある開発関係でのやり取りがありました。内容は伏せますが、その際、相手方の有名会社部長から、罵声を浴びます。

今、私が同じことを言われたら、きっと軽く言い返しているでしょう。

その時の私には、直球で胸に刺さってしまい、子どもたちが成人するまで生きる、と決めたのに死のうと考えてしまいました。


つまり、うつ状態でなければ乗り越えられる事も、辛い気持ちの時や弱っている時は、乗り越えられないと時もあると言う事です。


自分一人ではどうしようもなく、家で泣きながら遺書を書き、首を絞めようとしました。当たり前ですが、そんな事では死ねないのです。ですが、どうしようもないのです。


ただ、あの有名会社部長さんが、今、誰かを同じ気持ちにさせていない事を祈っています。


年が明け、年度末になり、私は別部署に異動になりました。人事異動は配慮していただいたものだと、思っています。


私なりに出来ることをしようと思い、毎日を過ごします。しかし、まだ「死ぬか、早期退職するか」を意識する生活は続いていました。


もしかしたら、考え方の癖が、偏った方向にあったのかもしれません。このころは、2週間おきの心療内科への通院になっていました。


なぜ、胸が苦しくなり、動悸がしてしまうのか。夜眠れないのか。なぜ、頭痛が治らないのか。


異動してからも、しばらくは改善しないままの状態が続きます。


このころも、まだ毎日夢に以前の仕事のことが出てきていました。なぜなのか分かりませんでした。なぜ、意味もなく涙が出るのかも分かりませんでした。なぜ、急に左手の神経が効かなくなり、動かなくなったのかも分かりませんでした。


いろいろな事が意味不明で、分からないことだらけでした。


でも、焦らなくて良いのだと思います。

きっと、その時は焦ってしまうかもしれないけれど。


焦っても、焦っても、仕方がない。

そういう時だと思います。

もがいても、アリ地獄に落ちてしまう感覚を覚えた事も思い出します。まるで、布団に沈みこんでしまうかのように、思ってしまう事もありました。


だから、そういう感覚や思いに捉われてしまったり、突然意味不明な症状が出てくる事があるかも知れない。けれど、うつ状態だとすると、そういう時もあるかもしれないのです。


今、そんな状態の方がいらっしゃったら、あまら恐れないで欲しい。でも、軽視もしないで欲しいです。


いつか、あなたの心と身体が癒される日が来ますように。祈っています。

★うつ抜け日記002★

★うつ抜け日記002★


心療内科の再診の次の日から、2週間お休みしました。


主人がすごく気遣ってくれるのが新鮮でした。休み中、毎日泣いて過ごしました。休んでいるんだから、外に出てはいけないものだと、自分で勝手にルールを作っていたように思います。


家族にも仕事仲間にも悪いことをしている、そう思いました。


休んだら休んだで、別の思いに悩みます。しかし、次第に出来ることをしようと、ひたすら家の掃除をするようになりました。

それまで仕事ばかりで満足に家事を出来ていない自分がいました。そして、同居していた義父母にたくさん家事をしてもらっていて、申し訳ない気持ちでした。


そんな自分が仕事も休んでいるのに、家事もしていない。それはいけない事だと思ったのです。まずは、汚れがひどいトイレの掃除。次にお風呂…。


今まで任せきりにしてしまっていた、あまり手をかけてこなかったもの、それらに向き合っている時間は、心を無にしてくれました。


家族が心配してくれているのが、痛いほど分かりました。特に主人は、毎日私に向き合ってくれました。おそらく気分転換をさせようとしてくれたのだと思います。休暇を取り、私をクルマに乗せてある場所に連れて行ってくれました。


それらは、とても有難いのに、辛くなる時がありました。今思えば、うつ状態特有の心理状態なのかもしれません。悪い方向に思考がある、思い込みのようなものでした。


休みをいただい2週間は長いように感じました。さらに延長はせず、仕事に出向きました。仕事場の皆さんに会うのは、怖いように感じました。上手くやれる自信などゼロに等しかったです。


ですが、この時からしばらくは、毎日「自殺するか、早期退職するか」を意識して生活することになります。


私は、とりあえず、自分の子どもたちを成人させないといけないと思っていました。「自殺か、早期退職するか」の二択に思考が偏っていましたが、いずれ子どもが成人する5年を生きようと思ったのを覚えています。


今年、下の子が二十歳になりました。

無事、子どもたちを成人させることが出来ました。


今、私には夢があります。

これからを担う子どもたち、それを支える大人たちが、自分らしく生きる、生き方のデザインを考える場をつくることです。


私は、うつ状態を経験して、今では、夢を考えることが出来るようになりました。


だから、今、辛い気持ちでいる人がいるとしたら、もう少し、もう少し、あと少し生きて欲しいと願っています。

★うつ抜け日記001★

★うつ抜け日記001★


はじめて心療内科を受診してから1週間、毎日主人とたくさん話をしました。結婚してから22年。こんなに話したのは何年ぶりだったのか。子どもが生まれてからは、すれ違いだったような気もしました。まともな話は出来なかったように思うけれど。


夕方、仕事を終えて心療内科の再診へ。

予約していたけれど、やはり激混みのため、診察は21時になりました。死ぬか仕事を辞めるか、という思考から抜け出せない中でした。


その日、心療内科の先生から「一時休む」という第三の選択肢をいただき、ホッとしたのを覚えています。


「一時休む」


本当にホッとしました。涙が出てきて胸が熱くなりました。そんな道があるなんて。


「死ぬか、仕事を辞めるか」


それしかないと思っていたから。本当にホッとしたのです。それ以上のことは、考えられなかったのです。ただ明日も生きられる。私は、死にたいのではなかったのだと思います。死ぬか、仕事を辞めるか、その二択しか思いつかない自分がいただけだったのです。


でも、そんなことはないのだと思います。

道が二択しかないなんてことは、ないのだと思います。


「死ぬか、仕事を辞めるか。その二択しか見えない、考えられない」…うつ状態の時は、多角的に物事を見たり考えたり出来なくなる。うつ状態の怖いところだと、今は思います。けれど、この時はそれしか考えられなかったのです。


悲しいけれど、辛いけれど、こんな時は休んでいいのだと思います。いや、休むべきだと思います。休まなければ、私はきっと死んでいたとも思います。


いっとき立ち止まる。


それが必要なときがあるのだと思います。いろいろ考える以前に、心と身体を休めなければ、次に進めないのだと思います。


でも、そんなことすら判断出来ない状態。

それが、うつ状態なのかもしれませんね。


でも、大丈夫。

今はゆっくり心と身体を休めてください。

その先に次のステップがありますから。