★うつ抜け日記006★

★うつ抜け日記006★


前回の日記を投稿してから、悲しいニュースを観ました。


上手く言えないのですが、やはり生きていて欲しかったです。


一方で、うつ状態を経験してみて、いかに正常な判断をするのが難しい事なのか、という事も感じます。


生きる、ただそれだけが難しく感じたのです。

あの感覚は、今思えば不思議なものです。私は何故死にたかったのだろうか。そう感じます。


うつ状態で2週間お休みして、年末に自殺をしようとして、年が明けて3月。ある日、急に左手が動かなくなりました。神経が指先にないような感覚でした。普通の状態であれば、病院に行くのだと思いますが、私は病院に行くことも考えられずにいました。心療内科を除いては。


3週間が経過し、ある日、左手に神経の感覚が戻りました。しかし、この頃の私には、左手が動かない事は、あまり重要ではありませんでした。


左手が動かない。それは、「そんな事」くらいの意味しかなかったのです。何故なら、私は死ぬのですから。


いずれ、死ぬのなら、多少動かない部分があったとしても、大した事はないのです。


それよりも、心療内科に出向く事の方が、私の一大事でした。その頃の私にとって、心療内科に行く事は、「癒し」になっていたのですから。


今、もし左手が動かなくなったら、私は診察を受けるでしょう。今は、そう判断出来ます。


つまり、心が辛くて酷くなると、普通の感覚で物事を考える事を困難にするのだと思います。


でも、そんな時は、無理しなくて良いのだ、とも思います。無理して悪化してしまうよりも、その人のペースで治していった方が良いように感じます。


私の場合、考え方が大きく偏って、物事を普通に捉えて考えられなくなり、それに伴って身体のあちこちからSOSが出てしまっていました。


考え方はすぐに変わらないかもしれませんが、少しずつでもいいので、認知と行動を変える事が大切になると思いました。しかし、思っても、全くと言っていいほど、考え方に改善が見られない日々は、これから3年程続くのです。


出口がない迷路に迷い込む、そんな感じです。永遠に感じましたが、振り返るとあっという時間にも思えます。


今、同じように苦しんでいる方がいたら、そっと寄り添うべきでしょう。そういう風に生きれたら、自分としても素敵だと思います。

もし、苦しんでいる方がいたら、状況が変わらないという決めつけはしない方が賢明だと感じます。


状況が変化したり、自分の考え方や捉え方が変化する可能性は、大いにあるのですから。絶対に変わるなどとは言いません。人それぞれだと感じます。でも、ほんの少しの考え方や捉え方の変化がもたらす未来も、あるかもしれません。


だから、今は生きていて欲しいです。

★うつ抜け日記005★

★うつ抜け日記005★


仕事場を異動して、新しい仲間と仕事をする中で、自分から積極的に、うつ状態を良くしようと思えずにいました。


まだまだ、「自分はダメなんだ、早く消えてしまえばいいのに」、そう思っていました。


そんな時、熊本の地震が発生。

被災地派遣の話が来ます。

自分自身、あまり良い状態ではなかったけれど、役に立ちたいと思い出向くことになりました。


被災地では、比較的被害の少ない地区と、酷い地区の両方に出向き業務を行いました。

気持ち的には、東日本大震災での業務を思い出し、辛い気持ちになりました。ですが、現地の皆さんから声をかけていただき、有り難かったです。


被災地から戻ると新しい仲間が増えていて、自分のダメな部分をフォローしてくれました。また、私も相談に来る方や新しい仲間と、一緒に仕事が出来ることに充実感を感じていました。


それなのに、辛い気持ちや頭痛、動悸は治らず、2週間に一度の心療内科への通院は続きました。夜もいろいろな事が心配で眠れませんでした。


何かをしなければと、焦っていたのかもしれません。ある資格勉強も並行して進めていました。しかし、思うように頭に内容が入ってきませんでした。勉強の仕方が悪いのかもしれません。それでも、この時は「絶対に取らなければならない」と思い込んでいました。


そんな事はないのです。ものごとに「絶対」という事などないのですから。

でも、この時はそれが分からないのです。


今思えば、この時の私は、自分がダメだと思い込み、出来ているところは見ずに、出来ない部分を拡大して見る事をしていました。それは、誰でもしてしまう事なのかもしれません。


「うつ状態」では、小さな出来ない事を10倍、100倍に考えてしまう場合があると思います。本人は、その事でさらに自分を追い込みます。うつ治療2年目の私は、まだまだ、この「自分追い込み」をやり続けます。さらに、自分を追い込んでいったのは、自分自身だったのです。


だから、もし、自分自身や周りの方が、「うつ状態」の時、出来るだけ良いところを意識して見るようにしたいものです。


私も周りのフォローしてくれる皆さんから、プラスの言葉をたくさん投げかけてもらいました。すぐには、心の奥に届かなかったけれど、5年経った今では、日々いただいていた言葉が、いかに大切で今につながっているかが分かります。本当に有り難かったです。


でも、すぐには自分を変える事は難しく、時間が必要だと感じます。

あなたの周りで苦しんでいる人がいたとしたら、優しく声をかけてあげて欲しいです。特効薬にはならないかもしれないけれど、見えないくらい少しづつ、その人の支え、癒しになっているはずだから。


マイナスの言葉に傷つく時もあるけれど、日々のルーチンをこなしながら、新しい仕事を覚えていきました。係の皆さんが私を気遣ってくれているのが分かりましたし、私も彼らに恩返しがしたいと思っていました。


彼らにとって単なるルーチンではなく、仕事が成長の機会になれば良いと考えて、毎週ミーティングで意見交換をして業務に取り入れ、クライエントから喜んでもらえる事につながるのは、とても嬉しいものでした。


辛い気持ちの中でも、やれる事がある、そう思えたのを覚えています。


この時期は、良い時と悪い時の差がありました。辛い気持ちの時は、大人しくするように心がけていました。


もしかしたら、躁鬱的なものだったのかもしれません。浮き沈みがありますが、プラスの言葉、考えを少しづつ、自分に投げかけます。もちろん、この時は圧倒的にマイナスが多いのですが。


日々を過ごすだけで、満点。

出勤した、ok。

それが出来たんだ、いいね。


同僚からもらった日めくりカレンダー。

些細な事も肯定するものでした。私を心配してくれて、このカレンダーをくれたのだと思います。有り難かったです。


日々、小さくても、一歩一歩、少しづつ。

それで良いのだ、と思いながらも、苦しんでいた時期でした。この時は、あと4年生きる、と思っていました。子どもたちが成人するまで、あと4年。


この時から暫く「うつ状態」と付き合う事になりますが、こんな事を感じ、考えていたのです。この時は一生、「うつ状態」が続くと思い込んでいました。そう思う事しか出来ない精神状態だったのだと思います。


それでも、この時生きていたから、今につながっています。今はそう思う事が出来ます。

辛いかもしれない、でも生きて欲しいです。今につながる日々を過ごして欲しいです。

★うつ抜け日記004★

★うつ抜け日記004★


心療内科に通うようになり、毎日主人に帰るコールをするようになりました。


それまでは、出勤時間はバラバラでしたが、なるべく合わせるようになりました。


おそらく主人には一番心配をかけました。何しろ、毎日不安な私がそばにいるのですから。


具合が酷い時、仕事場まで何度か迎えに来てくれました。また、家族も支えてくれました。だからこそ、私も家族を出来る限り支えたいと思いました。


多分なのですが、私は仕事が大好きでした。今も仕事は好きな方だと思います。同居して残業が出来る環境になってから、思う存分仕事をさせていただきました。上司や同僚にも恵まれ有り難かったです。


ですが、仕事ばかりして、家族と夕食を摂る回数が減少しました。義父母に子どもたちを任せて残業していました。どこかで、自分は出来るのかもしれないと勘違いをしていたのかもしれません。


恵まれた環境に甘えていたのかもしれません。

そんな私なのに、家族も同僚も、いざという時に支えになってくれました。本当に有難い気持ちです。


私は、うつ状態になってしまったことで、主人をはじめとする家族、上司や同僚の皆さんに、いろいろと迷惑をかけてしまいました。


一方で、改めて大切なものが何か、気づかせてくれたようにも思います。

一度きりの人生。

これに気付けたのは、私にとって大きな事でした。それは大切な事でした。


迷惑はかけてしまったのだけれど、気付けた事もたくさんある。だから、自分が出来ることで役に立てるよう努力しよう、今はそう思えています。


もちろん、当時はそんな風には考えられないのですが。それはそれで仕方がないのです。


「一歩一歩、いち、に、いち、に…」


毎日毎日、仕事場への道を歩く時に、重い足を前に運ぶおまじないの言葉です。


とにかく前に。

一歩でも前に。

そして、無理なら、一歩下がる、も有り。


自分の心と身体に、きちんと向き合って、自分の声を聴いていく。

上手くなんて出来なくて良いから、それで良いから。


だから、無理しないでいきましょう。