★★うつ抜け日記 番外編011★★

★★うつ抜け日記 番外編011★★


中学から高校に進学する時の春休み。


私は、せいせいした気持ちだった。


女子は嫌いだ。


意味もなく連んだり、トイレに一緒にいくとか。


陰口や悪口、嫌な思い出が蘇る。


が、さすが技術系高校。


サバサバした女子が大半だった。クラスの三分の一が女子だ。


3年間同じクラスになるから、なるべく平和に過ごしたいと考えていた。


だから、大人しく過ごした。


私は多数派のチームの端っこで。


お金がないから、新聞配達とウェイトレスのアルバイト。


日中、眠くて仕方がない。定期テストが最悪でダメだと思い、土日中心のアルバイトに変更した。


平日の数時間と土日のアルバイト代は、私の生活費。


公立だから学費は安いが、非課税世帯だったため、学費免除になり助かった。


狭いアパートで、母と弟と三人暮らし。


今思えば、非課税になるくらい、母は稼いでいなかった。だからひもじかったんだな。自分で働いて買ったパンは、とても美味しかった。


一つ下の弟は、小児麻痺の後遺症のせいか、学力がなく、近くの寿司屋で働くことになっていた。


しかし、コミュニケーションが取れない彼は、早々に退職する。


困った母は、知らない内に、元の夫に連絡を取り、弟を養子に出す手続きをしていた。


そうか、役に立たない子どもは捨てられるんだ、と理解した。


私にとって、弟は意志のない人間で、あまり話した事もない。だから、あまり悲しいとは思わなかった。


その頃から、母は私に依存するようになる。


寂しかったのかもしれない。自分で弟を追い出しておいて勝手な人だ。幼い時に一度捨てられているし、どうでも良かった。


ただ、依存される方にとっては、嫌な気持ちしか生まれない。


早く出て行きたい。


母は、出て行ってほしくないと言っていたが、遅いんだよ。


高校卒業後1年、チャンスがやってくる。

母が妊娠したのだ。


母は結婚する事になった。


母は、自分とお腹の子の事しか頭になくなった。


助かった。


私がいると部屋がない。


私は必然的に家を出る事に成功する。


もう二度と帰る事はないだろう。


母には、いつまでも勝手に暮らして欲しい。


またせいせいした気持ちになれた。


私は何を求めて生きているのか、まだ分からないままだったが。